ありのままに。

25歳人生の曲がり角、ジャニオタやってます。

わたしのオタク歴史

話は1997年にさかのぼる。当時6歳だった私はジャニーズという存在を知ることとなる。

この年の夏kinki kidsがCDデビューをし、超ミーハーな私の母は彼らのCDを購入。毎日毎日キンキさんの音楽に出演番組が流れる我が家。そんな私がジャニーズを知り、ハマるのにそんなに時間はかからなかった。


その後時代はジャニーズ黄金期。V6やTOKIOさんも冠番組を持ち、毎日のようにメディアに。小学生ながらにいわゆる事務所担となりまして。ええ、ミーハー小学生でした、わたし。


2000年頃でしょうか?そんな私がJrという存在を知り、なぜか急に横山裕という存在に堕ちる。←
なぜ横山さんだったのかは正直思い出せない…。たぶん雑誌かなんかで見た彼がかっこいい!ってなりまして。まだ担当という概念がなくて、横山担と名乗るほどではなかったけれど横山さん好き!ってかんじでした。


まあそうなると関西ジャニーズJrにたどり着くわけで。そこで見つけるんですよね。
大倉忠義という存在を。
今でこそ、誰がみてもイケメンって言われるようになった(と思う)彼ですけど、正直ね、当時彼は今みたいなかっこいい担当みたいな感じではなかったことは皆さんご存知だと思いますけど。私にとってはピンときたんですよ、これが。まあ忠義くんについてはまた後日語りたいと思います♩


まあそれから関ジャニ∞はデビューするわけですが、なんせ田舎者なわたし。
親と車行動が当たり前で子どもだけで電車に乗ることも許してくれなかった。(そもそも電車が1時間に1本、車がないとどこにも行けない。なんならいちばん近いCDショップまで車で30分以上。)そんな環境でコンサートに行かせてもらえるはずもなく。

その上私の周りではジャニオタは恥ずかしいみたいな雰囲気が流れていて、地元にジャニ友がいない。親友には馬鹿にされ、ほかの友だちにも言い出せないまま。


それでもやっぱり関ジャニ∞を知れば知るほど大好きになり、2年ほどお茶の間期間を経て、親にすがって頼んでFCに入り、やっと初めて足を運んだのが15歳。
記念すべき初現場は47都道府県ツアーのわたしの住む県の公演でした☆


まあそこからは関ジャニ∞沼に堕ち続け、現在に至る。笑



ちなみにジャニーズへのきっかけを作ってくれたミーハー母は今もミーハー。今はK-POP(東方神起)に三代目JSBジャニーズ事務所担(主にエイト・丸ちゃんですが)。私より激しい…

ジャニーズなんて恥ずかしい///って言ってた親友はその後安田担となりました。←


今ではその親友も結婚とともにオタ卒をし、一緒にオタしてくれる友人も少なーくなってきましたがそれでもオタ卒できぬまま。でも大倉くんとエイトのおかげで毎日ハッピー!ってかんじです。笑


懐かしいなあOo。.(´-`)
語るって言うほどでもないけど次回は大倉くんについて書こうかなあ。

はじめまして。

はてなブログの一読者の私がついにブログを開設してしまいました。

普段よりTwitter愛用者ですがもっとありのままの気持ちを残していく場所が欲しくなりまして。自由に書き残していければと思っています。


自己紹介

・mana

・四国在住の地方組

・普段は社会人してます(医療関連)

・いわゆるジャニオタ


・ジャニーズ : 関ジャニ∞
好きになって十数年。あの頃はもう既にオタ卒している予定でしたが未だにeighter卒業は出来ていません。

・担当 : 大倉忠義くん


・その他ジャニーズ : ゆるく事務所担
嵐、NEWS、JUMPあたりをゆるゆると茶の間

・女性アイドルもほんっとにゆるゆるとですがすきです。(48G、特にNMBももクロ



気が付いたら周りがみんなオタ卒していく年齢になっており、身近にはジャニオタという部類の友人は少なくなってきてしまいました。


いわゆる現場主義者の部類ですのでできる限り足を運んでいますが、なんせ田舎住まいですので。
自分らしく私の好きなものごとについて書いていればいいなと思っております。


どうぞよろしくお願いします♩